データ重視、論理的思考重視の落とし穴~データや論理との向き合い方

 

厚生労働省が不適切な手法で統計調査を行っていた問題が表面化しました。

これをきっかけに他省庁の統計にも問題があることがわかり、問題の影響度や背景が検証されています。

 

何のための統計調査かということを踏まえたうえで、統計調査のあり方が議論されていくものと思います。国、企業、投資家など統計を使って多くの関係者が諸々の判断を行っていることを踏まえた建設的な議論が望まれます。

 

何かを判断するうえでは判断材料となる根拠、事実が求められます。

統計データもそのひとつです。

 

昨今、「これからはデータだ、データは次のオイルだ」と俄かに騒がれ、データが注目されてもいます。なかには目的も曖昧なまま、データを集めるのに必死になっている企業もあるでしょう。

 

データは量だけでなく、質が大事であることは関係者の間ではよく知られています。

 

もうひとつ忘れてはならないのがデータの「前提」です。

どういう前提で取られたデータなのか。判断する上で意外に見落とされるケースも多いので、改めてご認識頂きたいと思います。

 

論理の根拠となるデータが間違っていれば、その論理によって導き出された結論の妥当性は揺らぎます。

 

結論を妥当とするには、論理的に妥当かということだけでなく、その論理の起点、前提は妥当かを検証する必要があります。

 

論理的思考が大切と以前から言われていますが、論理の「前提」については結構忘れられがちです。論理的思考の盲点とも言えるでしょう。

 

新聞などのニュース、論文、ビジネス書などを読むとき、よく考えずにうっかりそのまま情報を正しいものと受け入れてしまっていないでしょうか?

 

大手のメディアであろうと、権威者の発言だろうと、情報の発信者の「前提を疑う」ことは大切だと思います。

 

前提の置かれ方には意図的なものとそうでないものがあります。

 

意図的なものは発信者が自分の主張に都合よく、根拠を求めることに始まります。

事実、データの探し方、取り方、見せ方を自分の主張に合わせるのです。

 

そこには情報を編集する発信者の意図があります。その意図が読み手、情報の受信者を思った(悪い意味の忖度ではなく)結果、選択・編集されたものであればよいと思います。

時間も限られる中で判断に必要な状況を作るうえではそうならざるを得ませんから。

 

ただ、そうではなく、自己の利益を優先する自分ファーストのものであると、それは他者を誘導する、悪意のある情報の意図的操作となります。

 

意図的でないもの、それは単純なミスと無意識の前提によるものです。

事実、データの集め方、集計の仕方、編集の仕方を単純に間違える、無意識に不適切な前提を置いているといった類の話です。

 

すべての前提を検証することはできませんが、情報の受け手として「何かおかしい」という違和感をもつことは判断、意思決定をするうえで必要なことと思います。

 

ふと思い出したのがサラリーマン(ベンチャーキャピタル)時代の話です。

 

米国の著名なビジネススクールを出て転職してきた、とても優秀な同僚がいました。

 

日米の著名な投資銀行、シンクタンクを経て転籍してきた彼は、常に米国の最新の論文を読み、バリュエーション理論など自身の研究をビジネスに活かそうとしていました。論理的思考も抜群です。

 

その彼が審査部門に異動した時、得意の論理的思考とモデルを使って意見を述べました。

しかし、どうも何かおかしい違和感がありました。何か匂う!

 

そう感じた私は彼に違和感を伝え、資料を見せてもらいました。すると、バリュエーションの分析以前におかしな点がやはりありました。その会社の決算が粉飾決算だったのです。

 

話を聞いてみると彼は、「会社の決算書は正しい」という無意識の前提に立っていたことがわかりました。

 

大手企業ばかりを相手にしてきた彼の経歴を考えればやむを得ないかもしれません(上場企業でも粉飾はありえますが)。

 

しかし、投資の意思決定をサポートする審査の意見がそれではまずいわけです。前提を間違えれば経営の意思決定をミスリードしかねないことの一例です。

 

どんなに優秀な人でも無意識に持つ前提で間違えることはあるのです。

 

時の首相、吉田茂さんは戦後の食糧不足で米国に支援を頼んだ時、米国が示した疑念に対し、「日本の統計が正確だったら、米国と戦争などしない」と言ったとか。自虐的なユーモアですね。(統計の正誤に関わらず、当時の日本は戦争に走ったのでしょうが)

 

データも論理的な思考も大切ですが、論理の起点、根拠とする事実、データは妥当か、改めて前提を疑うことが益々求められると思います。

 

そのとき必要なのは違和感。「和」と違うから生まれる違和感。一種の動物の勘みたいなところがあります。これを身に着けるにはかなりの訓練が要ります。

 

持続的な経営を行っておられる経営者の方で動物の勘を持っていらっしゃる方は多いでしょう。

 

人間は見たいものしか見ない信じたいものしか信じない

どんなに優れた人でも間違えることはある

 

まずはこうした「前提」(笑)の下、意識して情報を受け取り、検証、思考することで動物の勘は鍛えられると思います。

 

情報の受け取り方、見極めの訓練にご興味のある方はお気軽にお問い合わせください

 

 

<おまけ>

サイバー、リアルという枠を超え、業種業界の垣根を超えて世の中が変わるとき、国の統計、分類の基準も見直しを求められると思います。

 

昨夏、それについて国の準備状況を某省の方に尋ねたところ、「その問題は認識している」とのお話でしたが、今はその準備どころではなさそうですね・・・(苦笑)