T&Iアソシエイツ代表の田中薫です。
研修の講師をしたりすると、多くの人が自分の潜在力に蓋をしてしまっている状態にあるのをよく目にします。
潜在力が顕在化されれば、その人はより活躍の幅が広がり、その活躍が職場や会社といった周囲にも良い影響をもたらすはずなのですが、多くの潜在力はずっと潜在したまま放置されてしまいます。
そうなってしまう背景を考えた時、当事者の方から以下のような傾向が窺えます。
A:自分の潜在力に気づいていない
B:自分の潜在力に気づいても活かすことができない
上記Aの理由としては次の2つが考えられます。
A-①:そもそも自分に潜在力があると思っていない(潜在力の存在に対する認知)
A-➁:潜在力を引き出してくれる他者に出会っていない(潜在している能力に対する認知)
ジョハリの窓でわかるように、自分のことを知るには他者の力も必要です。
A-➁をどこかで解決できた人(潜在力を他者に引き出してもらい、顕在化できた経験を持つ人)は、A-①の問題が生じくいので、A-➁の方が重要と言えるでしょう。
上記Bの理由としては次の2つが考えられます。
B-①:自分の潜在力をどう活かしたらよいかわからない(潜在力の活用法)
B-➁:自分の潜在力を活かすことが怖い(潜在力を活用する勇気)
B-①は自分の潜在力を活かす場所、活かし方を探すことが必要になります。自分で探しても良いですし、他者に探すのを手伝って貰ったり、教えてもらったりするのも良いでしょう。
私は「潜在力を引き出す他者」(A-➁)として、当事者の潜在力を顕在化したり、顕在化した潜在力を活かす場所や活かし方を探したり、お伝えしたり(B-①)するお手伝いをしています。
「見えないチカラを見えるカタチに」すること(潜在力の顕在化)を理念に活動していますが、一番難しく、エネルギーの消費を求められるのが潜在力を活かすことを怖がる方(B-➁)への対応、勇気づけです。
潜在力を活かすということはこれまでにない新しいことに取り組む、つまり何かに挑戦することになります。挑戦には失敗がつきもの。この失敗を恐れる気持ちが強い人がB-➁になります。
特に、潜在力を豊富に持ち、可能性に満ちた若い人の場合、それはとてももったいないことになります。
往々にしてご本人の成長欲求は強いので、ご本人にとっても辛いことになります。
このため、研修では多様なアプローチで失敗への不安や恐れを取り除くためのお手伝いをします。
そんなご支援をしながら想像するのは、彼ら彼女らを取り巻く環境とその環境下で彼ら彼女らが無意識に求められてきたことです。そしていつも思うのです。
・どれだけ今までひとつの正解に速く辿り着くことを求められてきたのだろう
・どれだけ今までレールから脱線しないことを求められてきたのだろう
・どれだけ今まで終わりのない要求を受けてきたのだろう
彼ら彼女らを取り巻く周囲の人々は、彼ら彼女らを守る意識が強過ぎて、いつも先回りをして、転ばないように、間違えないように、失敗しないように、脱線しないように、そして恐らく良かれと思って、次へ次へと先の道を指し示してきたのではないかと思えるのです。
しかし、ビジネスも生活も環境が劇的に変化していく今は、こうした周囲の人々が経験してきた時代とは前提が大きく異なっています。これまで常識とされてきたことも、成功の方程式のように思われてきたことも変わってきています。
周囲の要求に応えようと懸命に正解を求めてきた彼ら彼女らは、とても真面目でとても繊細です。
そんな彼ら彼女らは急に正解のない世界に放り出されてしまうのです。
ある若者は「将来、使える人間になりたい!」と言いました。
聞けば、中学の先生に「使える人間になれ!」と言われたそうです。
その先生の前提には、「使える人間」と「使えない人間」があると考えられます。
さて、この先生が想定していた「使える人間」とは、いつの時点の、誰にとっての、どのような能力や機能をもった人間を指しているのだろうか、と私は疑問に思いました。
そして、一度「使えない人間」とレッテルを貼られた人の潜在力を、果たしてこの先生は引き出してくれるだろうか? 使える/使えないという分類を人に当て嵌めてしまう先生は、人間の潜在力をそもそも信じていないのではないだろうか、と思ったのです。
先日、新聞に宮沢賢治の「虔十公園林」の一節が紹介されていました。
「あゝ全くたれ(誰)がかしこく、たれ(誰)が賢くないかはわかりません」
人の可能性の芽を摘んでしまうのも、人の潜在力を引き出し、可能性を広げるのも人であると改めて思うこの頃です。見えないチカラを見えるカタチに。。。