T&Iアソシエイツ代表の田中薫です。
日経夕刊「私のリーダー論(特別編)」(2018/12/27)、早大ビジネススクールの入山章栄准教授と、ヘッドハンターの橘・フクシマ・咲江社長のインタビュー記事。
ブログに書いてきたことや大学院で研究していたテーマとも関係するので気になりました。いろいろ違和感が・・・。
入山先生が挙げた「経営学の世界で重要視されているリーダーシップ」の2つのタイプ(トランザクショナル/トランスフォーメーショナル・リーダーシップ)が前回のブログ(「答えは『内』にある」)で書いた言葉と近しいので整理してみました。
① トランザクショナル・リーダーシップの人 ≒ オペレーション・マネジメントをする人
② トランスフォーメーショナル・リーダーシップの人 ≒ イノベーション・マネジメントをする人
①は「質の高い管理型のリーダー」で、「部下のことをきちんと把握し、的確な信賞必罰を行う」と先生は仰っていますが、これはいわゆる「管理職」レベルの仕事ですよね?記者の質問は「経営者」に対するものなのにズレていませんか?と。
➁は「啓発型で、ビジョンや長期の方向性を示し、部下の知的好奇心を刺激してワクワクさせて、一緒に巻き込んでいくリーダー」で、「変化が激しくイノベーションを起こさないと生き残れない現代は②がより重要」とのこと。
大いに違和感があります。「経営者」の仕事はまず第一に②でしょう!
そもそもマネジメントに対する認識が違うと感じました。
特定の業界で効率化を前提とする時代はとうに終わっているのに。
「今の日本企業に一番足りないと思う視点を経営学的に言うと、センスメイキング理論」だとか、「変化が激しい時代に重要なのは納得性だ」とか、舶来品(輸入物)で語られていますが、そこからしてまた違和感。
詳細は前回ブログ(「答えは内にある~舶来品珍重主義との別れ:前・後編」)で書いたのでここでは省略します。
ひとつ付け加えると、納得性より納得感、腹落ちといった感覚、頭ではなく体に注目すべきでしょう!
「現代の優れた経営者に共通しているのは、ストーリーテラーだということ・・・」と仰っていますが、「現代」ではなく「昔から」です!
今に始まった話ではありません。これは普遍的なものです。
最近「顔の見えるリーダーが増えてきた」として挙げた経営者がファーストリテイリングの柳井正会長兼社長、グローバル企業の「語る経営者」として挙げた事例がユニリーバのCEO。どちらも事例が古過ぎませんか?
「日本の経営学は世界に遅れている」として、米国から日本に戻られたように見える入山先生。穏やかでフレンドリーな印象の方ですが、事例をアップデートして頂かないと、先生を信じる企業経営者も時代に遅れることになってしまいそうです。
続いて、橘・フクシマ・咲江社長のコメント。
こちらは概ね同感です。
ご発言の中の「ユニ・チャームの高原豪久社長の言葉『人は育てるものじゃない、育つものだ』が真髄かな」だけを取り上げないで頂きたい。「放っておけば育つ」というものではありません。大事なのはその後です。
「自律性を持って自分たちで考えさせて自分たちでできるようにする。これが過去の日本企業の『人財』育成に欠けていたこと」
「考えさせる」という言葉がちょっとひっかかりますがここでは止めておきます。
高原豪久社長は社員が育つ環境を整えるのに腐心しておられることを忘れてはいけません。
「高度成長期には必要なかったかもしれないけれど」と橘氏は仰っていますが、私に言わせれば、「高度成長期から何十年経ったと思っているのですか?」という話です。
入山先生は「正確なことはわからなくても前に進みましょうと先導できるリーダーが求められる」と言い、橘氏は「直感、先を読む力、スピード感のある実現力が次のリーダーに必要だと強調される方(経営者)が多い」と言われました。
不正確、直感などは非科学的とされ、感覚や経験はバカにされ、「根拠のないもの」「不確実なもの」を排除しようしてきたのが、これまで欧米に倣い、主流とされる経営を先導してきた人々、経営学者や実務家だったのではないでしょうか?
当初の意図はイノベーションにおけるリスクを排除するものだったかもしれませんが、結果的にいつの間にか手段が目的になり、管理のための管理が増えた。「見える範囲」「想定内」のことしかしなくなった。想定外をないものと錯覚した。
おそらく理由はその方が簡単、楽だったからでしょう。
人間は本来、見たいものしか見ませんし、不安定が嫌いです。
想定外、規格外を排除する。製品のように人も規格に収め、規格に合った標準品を管理する。
権威者(権威のある誰か、他者)の言う通りに、決まった通りに「管理」すれば、自分は考える必要はないし、自分が間違った意思決定をするリスクもなく、責任も問われない。
また、自分の言う通りに人が動く世界はその人にとっては居心地がとても良いです。
そこにはある種の支配関係が成立しており、支配者としての自己満足も得られます。
ダイバーシティ(多様性)を女性や外国人という狭い枠で捉えている学者や実務家もいまだに存在しますが、そもそも人間は多様です。
男性の多様性や日本人の多様性を活かせない人や組織が、女性や外国人の多様性を活かせるはずはありません。
女性活躍だ、人材のグローバル化だと言って失敗する企業が出ても、全く驚くにはあたりません。
入山先生は「シェアードリーダーシップに注目せよ」と仰っていますが、一方で、「ストーリーで納得させる」と言っておられる。
人に「させる」と言っている時点で、従来の延長線(支配関係)から脱却できていないように感じます。
「『相手がわかってくれない』じゃなくて、『わかってもらう努力が足りない』」のです。
手を変え、品を変え、舶来品の理論や手法がカタカナで長いこと語られてきましたが、それで果たして日本企業はどれだけ良くなりましたか?
舶来品でももちろん、優れたもの、参考にしたいものはあるでしょう。例えば、
共通目的、貢献意欲、コミュニケーション、基本はそれほど変わらない。
大事なのは、舶来品の言葉や理論をどれだけ知っているかではない。それらはあくまで参考。
理論なんか知らなくても実践している方を、ベンチャーや中小企業の経営者などで沢山見てきました。
舶来品珍重主義はもうやめましょう!と言いたいです。
むしろ、学界の先生方には日本発の理論をもっと世界に発信して頂きたいのです。
変革を求められているのは企業だけではなく、学界、教育の世界も同じでしょう。
おまけ:
「シェアードリーダーシップ」:偶然ですが(笑)、大学院のとき、高木晴夫先生のリーダーシップ論の最終課題に同じような私見をレポートに書きました。もちろん、借り物のシェアードリーダーシップという言葉ではなく、自分の経験から自分の言葉で書きました。
「先見性、決断力、実行力」:10数年前、ある行政の女性起業家セミナーで講師を頼まれました。事後の懇親会で受講者の方から「経営者に必要なものは何ですか?」と尋ねられた時の、私の直感に基づく回答です。今でもその考えは変わりません。
こちらのブログもご覧いただければ幸いです。